SOKENトピックス
スペシャルインタビュー TearExo×綜研化学 対談
大学発スタートアップと綜研化学が挑む、がん検診の未来
涙一滴から乳がんの早期発見が可能に
涙液に含まれるがん細胞由来の細胞外小胞(エクソソーム)を、高感度・迅速・簡便かつ低コストで検出する技術「TearExo🄬法」。この革新的技術を持つ大学発スタートアップ企業TearExo社と、綜研化学は2022年よりセンシングチップ材料の共同検討を進めてきました。2024年には共同研究契約を締結し、2025年には当社からの出資を通じて連携体制をさらに強化。「TearExo🄬法」の社会実装を目指し、大量生産プロセスの確立に取り組んでいます。今回は、TearExo社CEOの堀川氏を迎え、連携の背景や意義について伺いました。
株式会社TearExo(ティアエクソ)
JST-START事業を経て、 2022年4月に神戸大学発スタートアップとして設立。
"涙1滴、誰もが疾病から解放される世界"をビジョンに掲げ、容易に採取可能な涙液検査で乳がん検出する技術「TearExo®法」の社会実装を目指す。J-Startup KANSAI選定企業。
オープンイノベーションがつないだ両社の社会実装への道
横倉:綜研化学はTearExo社と協働し、TearExo®法でがん検出する高感度センシングチップの大量生産プロセスの開発を行っています。新規事業企画部は、当社の保有技術をさまざまな領域で活かしながら、社会課題の解決に繋げることをミッションに掲げ、スタートアップ企業やアカデミアとの連携を模索してきました。TearExo社との出会いもオープンイノベーションのイベントがきっかけです。当社がスポンサー企業として参画していたときに、当社の技術に興味を持っていただいたことがすべての始まりでした。
堀川:綜研化学のWebサイトを見て材料開発に強みがあることがすぐ伝わってきました。TearExo®法の肝となるチップの"穴"を作る工程において、高分子材料や加工プロセスが重要であり、併せて上市に向けた量産化を考えていたこともあり、お声をかけさせていただきました。
横倉:TearExo社のニーズと当社の強みがまさに合致していました。TearExo法®について理解を深めるにつれて、そのポテンシャルを実感し、より多くの人が安心してがん検査を受けられる社会の実現に向けて、共に取り組みたいという思いを強めています。
堀川:初回の面談後、短期間でプレゼン資料ベースのご提案を綜研化学からいただき、とてもありがたかったです。当社が保有しているTearExo®法関連の特許は数も多く、非常に専門的で難解な内容です。しかし、綜研化学には特許に精通した方がいらして、特許資料からTearExo®法の仕組みを読解されていたことに驚きました。プレゼン資料には、具体的な図解とともに、綜研化学の技術でこうした材料が実現可能だと記載されていました。特許資料の読解に相当な時間を費やしてくれたことは、本当にうれしかったです。
横倉:当社とTearExo社は、2024年5月にセンシングチップに関する共同研究契約を締結し、2025年5月には当社が引受先となる第三者割当増資という形で出資もしました。そして、2023年の初面談からの約1年の間にも、フィージビリティスタディなどの事業化に向けた検証を進めてきましたが、当社にとって乳がん検出はまったく未知な領域だったので、乳がん関連情報を独自に収集しました。また、さまざまなタイミングで、社内アンケートや一般消費者へのアンケートも実施し、乳がん検診の課題などの把握にも努めてきました。日本人女性の9人にひとりが乳がんに罹患するというデータがあり、これは非常に重要な健康問題です。また、乳がん検診で用いられるマンモグラフィは、撮影時に痛みを感じる方が非常に多く、超音波検査も含めて画像診断では読影医の経験などに左右されることもあるなど、具体的な課題も少しずつ理解を深めてきました。そうした経緯から、採取しやすい涙から乳がんを高感度で検出できるTearExo®法のポテンシャルを改めて実感しました。TearExo社と一緒に、社会課題の解決に貢献していきたいという思いをさらに強めているところです。
―コラムー TearExo®法開発のきっかけ
TearExo®法は、神戸大学大学院の竹内俊文教授の研究室で開発された技術です。竹内教授は、20年以上も分子の"鋳型"を取る分子インプリンティングの研究を行ってきました。一方で2015年に国立がん研究センター(当時)の落谷孝弘教授が、エクソソームの生体内における機能と動態に関する研究を発表。これまでは、エクソソームは細胞内の不要物を排泄するものだと考えられていましたが、エクソソームが放出細胞の形質を保持したままであることがわかりました。病変した細胞は当然正常細胞とは異なるエクソソームを放出するので、その生体内動態を極めれば、疾患の早期発見の鍵となるはずだと、竹内教授は衝撃を受けました。これをきっかけにTearExo®法の開発がスタートし、エクソソームの"鋳型"の作製に成功します。2019年には、その論文がドイツ化学会の学術誌「Angew. Chem. Int. Ed.」に掲載、2020年に米国科学会の学術誌「J. Am. Chem. Soc.」に掲載され、国際的に高い評価を受けました。
センシングチップ量産は、材料と技術の複合が不可欠
横倉: TearExo®法がなぜ乳がんを検出できるのか、その仕組みをお聞かせいただけますでしょうか。
堀川:TearExo®法は、涙から乳がんに由来するエクソソーム*を検出する技術です。あらゆる細胞から放出されるエクソソームは、放出元の細胞が持っている遺伝子やタンパク質などの特徴的な情報を引き継いでいます。そのため、がん細胞と正常な細胞では、放出されるエクソソームも発現する物質が違うので、がんに由来するエクソソームを追跡することでがんを検出できる仕組みです。エクソソームは、血液や唾液などの体液にも含まれていますが、涙は不純物が少ないきれいな体液であること、時間や場所を問わずに自己採取できることから検体として理想的だと考えて選びました。
横倉:がんを検出するためには、センシングチップ上でがん細胞由来のエクソソームを捕捉し、分析計で読み取る必要があります。センシングチップの捕捉メカニズムと、量産化に当たってどのような課題を抱えていましたか。
堀川:TearExo®法では、センシングチップの表面に配置した"穴"の中に、エクソソームを認識する抗体を入れ、さらにエクソソームと抗体が結合した場合に光が変化する蛍光色素も配置しています。これを独自に開発したエクソソーム自動分析装置と組み合わせると、前処理なしで従来法の100倍以上の高感度で検出することができます。研究室ではこれまで、センシングチップはガラス平板の上に金をスパッタしたものを使っていました。金は非常に安定した物質であり、扱いやすい典型的な物質ですが、センシングチップの工業化においてはコスト面で成立しません。上市後はご利用いただきやすい価格にしたいという思いから、綜研化学とのコラボレーションを始めました。
*エクソソーム:細胞外小胞。あらゆる細胞から放出される100ナノメートル程度の小胞で、近年になって放出細胞の形質を保持していることがわかった。
TearExo®法の根幹であるセンシングチップの改良へ
堀川:エクソソームを高感度に検出できるかどうかは、センシングチップが握っていて、まさにTearExo®法の根幹なのです。また、大学発スタートアップ企業単体では、センシングチップの量産化は不可能であり、綜研化学との協働は絶対に必要なことでした。共同研究契約でもう一段ステップアップさせていただきましたが、少しでも早くTearExo®法の社会実装を実現したいという思いから、第三者割当増資もお願いしました。また、上市に向けた計画を明確にお伝えすることは少し難しいのですが、昨年度から複数の大学病院とTearExo®法での乳がん検出の共同研究契約を結び、有償で臨床データの収集を始めています。
横倉:センシングチップの量産化の進捗については、金に替わる材料と"穴"を作るための高分子材料の設計を進めているところです。小規模な実験室内での製造プロセスと並行して、実際に大量生産する際の条件なども検討しており、実際に当社事業所内には既に大量生産したサンプルがあります。量産化プロセスでは、TearExo®法が高感度であるがゆえに検出でのバラツキをなくすことが肝になります。さまざまな材料を試す中で、感度に差異が生じることも幾度か経験しました。原因がすぐわかることもあれば、予想しないことが起こることもあります。現在は、大量生産に最適な材料選定に注力している段階です。
堀川:臨床検体は、2024年度末までに100例弱が集まっており、それをいま解析しているところです。今年度は、さらに臨床データを積み上げていく予定です。臨床医の方との共同研究として推進しているので、臨床医の意見も反映させてデータを精緻化し、実用的な乳がん検出ソリューションとしてのデータにしていきたいと考えています。私たちの思いは、検査結果を提出して終わりではなく、万一、がんのリスクがあるとわかった後には乳がん専門医へつなげられる連携体制までを作りたいと考えています。自由診療による、がんリスク・スクリーニング検査が数々ありますが、当社では体外診断用医薬品の承認を目指しています。その具体的な目安として、PMDA*の承認審査では2カ所以上の施設で150例以上の臨床データが必要となります。現在、綜研化学とセンシングチップの改良に注力していますが、改良後のチップでPMDAに申請するための新たな臨床データを取っていく計画です。
TearExo®法での乳がん検出検査の手順
(1)ドライアイ検査で用いられるシルマー試験紙に涙を染みこませます。
(2)試験紙をエクソソーム回収溶液に浸し、自動分析計にかけると約30分で検査結果が出ます。
涙は鏡を見ながら自分で採取することが可能であるため、検査のハードルが大きく下がることが期待されます。
がん医療への貢献のために、体外診断用医薬品の承認を目指す
横倉:TearExo®法のセンシングチップは、体外診断用医薬品の承認を目指していますが、当社のこれまでの事業領域から考えると、たとえば飲み薬やワクチンなどの医薬品分野へ一気に進出することはないと思います。当社の新規事業企画部がイメージしているのは、このセンシングチップのように機能性材料の大量生産やコーティングのプロセスなど、得意とする領域をうまく活かしながら外部と一緒に社会貢献をしていくことです。堀川さんは、TearExo®法乳がん検出キットの上市後は、どのようなイメージを描いていますか。
堀川:上市後は、日本だけでなくグローバルで幅広くご利用いただきたいと考えています。日本人を含めたアジア人女性は、欧米人と比較して高濃度乳腺乳房(デンスブレスト)が多いといわれています。マンモグラフィでは、がん細胞は白く映りますが、乳腺も白く映るため、デンスブレストではがん細胞が乳腺に隠れてしまい、発見が難しくなると言われています。TearExo®法と画像診断を組み合わせることで、医師が治療方針を決める際の有効な判断材料として活用いただけるようにしたいと考えています。また欧米では、保険制度が日本と大きく異なることから、予防の観点からのがん検診が盛んです。全世界の女性数からブレークダウンしたマーケット想定はある程度描いているものの、まずは年間100万キット以上を最初のマイルストーンにしたいと考えています。
横倉:TearExo社が、体外診断用医薬品の承認にこだわる理由はどこにありますか。
堀川:体外診断用医薬品として保険収載になれば、国内では保険適用で利用していただけます。さらに当社では「涙1滴、誰もが疾病から解放される世界」の実現をミッションに掲げているように、検査だけで終わるのではなく、医療との連携がとても重要だと考えています。乳がん検診率の向上はもちろんですが、乳がん治療や術後の再発チェックに至るPatient Journeyの様々なシーンで貢献できればと考えています。
横倉:乳がん検出キットの上市に向けて注力していますが、将来的には卵巣がんなど他の疾病への適応拡大も視野に入れています。適応拡大についてと、TearExo®法の検出キットがもたらす社会的なインパクトはいかがでしょうか。
堀川:卵巣がんなどへの適応拡大は、センシングチップに搭載する抗体を変えることで対応できます。将来的なことになりますが、現在開発中のセンシングチップを大きくすることで複数の抗体を搭載し、一度の検査でさまざまながんが検出できるようにしたいと考えています。センシングチップのサイズアップと抗体の種類を変える仕組みは、まさにいま、綜研化学と協働して開発中です。TearExo®法乳がん検出キットの社会的なインパクトですが、開発当初より乳がんに罹患された患者さまにとっての有効な検査ソリューションになると考えてきました。乳がんは、寛解するまでの10年程度は再発リスクがあると言われ、定期的な検査がとても大切になります。しかし現在では、まだ再発を早期発見して延命効果があったというエビデンスが乏しく、再発検査をあまり望まない患者さまも少なからずいます。その一方で、再発がとても不安だと訴える患者さまやご家族が多いのも事実です。TearExo®法は、乳房全摘手術の術前・術後での臨床データが鮮明に分かれることから、再発の早期発見にも貢献できるはずです。さらに、涙は自宅でも容易に採取できるので、病院に行かなくてもご自身のタイミングで検査できるというメリットがあります。患者さまの負担の極力減らし、再発の不安に悩まされる時間からの解放など、患者さまとご家族のQOL向上に貢献できると考えています。
横倉:TearExo社との共創を通じて、社会課題の解決と新たな価値の創出に挑戦し続けていきたいと思います。本日はありがとうございました。